PROFILE of MUN2

(ARCHIVED)

MUN2とは

 

もちろん本名ではない。mun2と書いてムンムンと読む。スナックの女の子がつけてくれたニックネームであるが、適当な名前がみつからないのでハンドルとして使うことにした。

住まい

 

現在の住所は神奈川県横浜市神奈川区のマンション。とは言っても自分の所有ではない。妹の所有物件の一室に居候している。家賃は払っているもののいい年をしてあまりみっともよいものではない。しかしこのままの見込み。

右の写真は自宅屋上にあるDDIポケットのPHS基地局のアンテナである。日本における携帯電話保持者5000万人、PHS保持者600万人という状況下でPHSを愛用している。仕事の関係もあるが音質やデータ通信の速度からIMT-2000が出てきてもまだPHSに分があると思っているのは私だけか?PHSも今後進化する。

[01/06/16] WCDMA(IMT-2000)も限定商用サービスが開始されたが、まだソフトウェアのトラブルなどで本格化していないようである。現在サービスされるデータスピードは384kbpsであるが、やはり通信料金が高すぎる。そう気軽には個人での使用は難しい。

私とコンピュータ

 

仕事柄コンピュータとの付き合いは長い。会社に入社したころはPC等ない時代、Intelがはじめて4bitのチップを作った時代である。今Internetの時代にPCやMicro Computerを使用して製品の開発を進めるが、こうして個人のHome Pageを開設するのは他の人に出遅れた感があるのはいなめない。

 

私の職業はエンジニアである。最初はハードアの設計、当時電卓の回路設計は理解の範囲内であったがMicro CPUが世にでたときそのハードウェアの理解にかなり苦しんだ記憶がある。何事も細部まで理解できないと先に進めない性格が障害となっていた。その様なものだといってブラックボックスに押し込めることにより、その障害は乗り越えた。

 

TK-80時代の到来。日本におけるアマチュアPCの幕開けはNECの売り出した8080CPUのキットによって始まった。20個ほどのキーと8桁ほどの7セグ表示でプログラムを入力する。

 

S-100バス8080/Z80のコンピュータCPUボード・16kメモリボードと80kbyteの5インチフローピー、OSはCP/Mである。

 

PC9801時代。当時のOSはN88BASICである。このマシンかではグラフィックコントローラを学ぶことができた。MS-DOSとそしてOS-2をのせて動かすことを試みそしてPC9801の限界(ソフト環境)を知ったとき、DOS-Vへと興味は移った。

 

その後はMother Boardの交換、ハードディスクの交換、グラフィックボードの交換などでハードの更新をしてきた。OSはWindows、Windows95/98、SE/MEそしてWindows NT/2000へと進化してきた。

 

そして今PCはPentiumIII533MHz 50GのHDとOSはWindows 2000である。私自身の歴史と性格からAppleには一度も手をだしていない。いままでの活動がアプリケーション主体ではなく、中身を知って使いたい気持ちが強いせいであろう。そろそろハードのUpgradeをしなければ!

 

[01/06/16] 6月よりマシンの更新が実現した。現在Pentium4、RAM512MB、HDは60GB+20GBとなった。やはり最速マシンということでかなり快適に使える。

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